昔「北の国から」というドラマがありました。
テレビではお笑い芸人が田中邦衛の真似をしていることでもよく知られた番組です。
実はこの中で父親役の田中邦衛が上京する息子の純に封筒を渡すシーンがありました。
寒い雪の中、トラックに乗って純が出発するのですが、その時に田中邦衛が純に封筒を渡します。
そしてトラックが出発して、純がその封筒の中を見てみたのですが、「泥の付いた一万円札が2枚」が入っていたのです。
この時に思ったのですが、「実はお金にはキレイなお金と汚いお金」が存在するのではないかと思いました。
これは企業の事業や日常生活でも本当は大事なことなのではないかと思います。
この田中邦衛が渡したお金は「泥がついており汚れている」ということを言いたいのではありません。
泥の付いていないピン札なら「キレイなお金」と言いたいわけでもありません。
実は、あの田中邦衛が渡した「泥の付いたお金こそがキレイなお金」だと思うのです。
それは、あのお金はただの2万円ではなく、田中邦衛が純が上京するために必死に働いて稼いだお金だと言えるからです。
泥が付いていたのは、田中邦衛の手が汚いというよりも、手を洗う時間が無いほどに必死に働いていたからでしょう。
つまり、あの封筒に入ったお金には「父親の思い」が込められていたからです。
他にも着目すると、あのお札はよく見ると「キレイな新札に泥が付いている」のです。
これが「ヨレヨレのお札ではなくなぜ新札」なのか、そこもポイントだと思います。
演出の面で言えば、ヨレヨレのお札に泥が付いていれば、その辺のお札を田中邦衛が封筒に入れたと思うだけです。
つまり、汚れがあるお札が入っているという印象です。
しかし、「キレイな新札に泥が付いている」ことで父親役である田中邦衛の手に泥が付いて汚れていると分かります。
新札というキレイなお札を使って、泥の汚れと対照的に見せることで、視聴者にハッキリと父親である田中邦衛が必死に働いて稼いだお金という主旨を伝えるために、このようにしたのだと思います。
もちろんお金はシワシワでもピン札でも汚れていても価値は同じですから、同じように使うことができます。
しかし、昔から「泡銭」「悪銭身に付かず」と言った言葉があるように、同じお金でもそれを区別することが存在します。
「額に汗をかいて働く」といった、私達がどのように働くべきかということを示したような言葉もありますが、これは昔の人がそれを伝えてきたことだけあり、やはり意味があるだと思います。
このように「お金にはお札の価値以外にも見えない感情や気持ち」が入るのではないかと思います。
ですから、「自分が汗水働いて稼いだお金」「誰かからありがとうと言われてもらったお金」というのは、大事に使いたくなるものです。
一方、成金という言葉があるように、成金はお金の使い方にやや品がない傾向があります。
日本の戦前に「成金がお札を燃やして明かりを灯す」絵がありますが、あれは有名な絵です。(実話かどうかは知りませんが)
ここから、企業の事業も「人の役に立つ」「人に喜ばれる」といった利他を大事にして、その対価として貰うお金にその価値以外のものを見いださせるようであれば、将来も存続していけるのではないかと思います。
お金を稼ぐことだけではなく、稼いだお金にお客さんからの感謝の気持ちがあれば、その力を受け取れるはずです。
以前、話したように「食品を偽装」「オマール海老を伊勢エビ」と言ったりしていると、その対価のお金を貰っても気持ちよくなれないのではないかと思います。
実際に食品偽装に関わっていた従業員などは、「お客さんに悪い気がする」「料金を受け取れない」と言ったように罪悪感を感じている人も多いですから。
こういった考えが正しい方向に使えられれば事業の進展やその国や社会の発展に大きく役立つはずです。
「仕事にはやりがいが大事だ」と言っていた社長が高級外車に乗って社員に長時間労働をさせていた話